虹は雲のあとから見えてくる

アクセスカウンタ

zoom RSS 新年初レッスン(声楽118)

<<   作成日時 : 2008/01/11 15:22   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 15

さて、今年もがんばります!昨年の発表会では得るものが多かったです。そしてようやく歌うことが楽しいと思えるようになってきました。歌は語り…というところへはまだ到達できませんが、歌は芝居だと思ったことが収穫でした。

発声練習よりはやっぱり胴体の感じと(あえて『お腹』という表現をやめます。)鼻や目の裏を開ける感じの練習の方が役に立つと思っているので、お正月明け、息子一家が帰ってから声を出さずに息を吸って吐いて…をやっていました。

蛇足ながら、ラジオで始めてミュージカルに挑戦した俳優さんの体験談を話しておられて、とても共感したことがあったので書いておきます。鼻腔のところを開くことについて、目も開き、まるで「岡本太郎の顔みたいになるんですよ〜!」っておっしゃってました。私も出来るようになった時に同じことを思いました。


ある時、またコンコーネが始まるのを思い出しました!音程が不確かだったので、それの練習はしました。それから、歌の選曲もしておかないといけないのを思い出しました。

そんなことが初レッスンまでの私のやるべきことでした。



発声練習は無事に声が出てよかったです。

コンコーネ32番はピアノに付いて歌うと音程はなんとか取れていますが、まだ危ういです。それより、八分音符+八分休符の歌い方がどすんと切れているので、(なんと言われたかなあ?)軽くなるようにとのことでした。うーーん、まだよくわかっていないですが、あれこれやってみます。

歌は「花のまち」(江間章子作詞、團伊玖磨作曲)。
♪なないろの谷を越えて〜〜
という、学校で習った歌です。
春らしくきれいな歌ですね。

発声・発音とともに「歌は語り」という部分を習っていきたいと思います。



発表会の写真を今日渡してもらいました。
一番遠景で顔がわからないのをお目にかけます。(汗)
首のチョーカーのリボンは背中へなが〜〜〜く垂らしています。(そういう写真は一枚もありませんでしたが。)写真を見て「あ、ピアノは白だったんだ〜」と気づきました。

画像

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
「歌は芝居」の分析(声楽119)
新年初レッスン(声楽118)の記事において、かおたいさんとのコメントによる会話をしている内に、ようやく私が感じたことが少し見えてきました。パントマイムを作って演じているのと似ていました。 ...続きを見る
虹は雲のあとから見えてくる
2008/01/16 00:29

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
ticoさま、「歌は語り」ということの本当の意味ははかりかねていますが、作曲をやる自分としてはとても興味があります。ぜひご意見を聞かせてください。私の師匠は日本語の扱いに厳格な人でご自分の作品の大半は「語り節」だといっていました。作品の原点を日本の語りにおいていました。これを聴きにきたある声楽家が「聴くだけで喉がおかしくなる」といって帰りましたが、一方では高く評価する声楽家もいます。前の方はイタリアオペラの人、後の方は日本歌曲を主に歌う方です。伝統ということへの考え方の違いでしょう。そんなことで、話題がかみ合うかどうか、楽しみにしています。
かおたい
2008/01/11 19:28
かおたいさん、こんにちわ!
まだ説明できるほど私の中で熟成していないのですが、今まで幼児から大人になるまで「歌を歌う」として認識していたことがくつがえされそうになっています。ギターを演奏するということは具体的な言葉を持っていませんので、絵画を描くような感じでした。色だとか風景だとかを音で描く感じです。ところが歌は言葉があり具体的な内容を持っています。メロディがなければ朗読になります。つまり歌はメロディのついた朗読のようなことかなと思いました。芝居と思ったのはセリフの意味です。歌のメロディはたぶん言葉をきちんと生かすメロディでなければいけないんじゃないかと思います。ということは初めに言葉ありきで、メロディがそれに添っていくのかもしれません。
tico
2008/01/11 22:04
(つづき)
私が「歌を歌う」と思っていたのはメロディに言葉がついているとして歌っていたのじゃないかと思います。ここのところがなかなか分析できないのですが、なにかしら身体の反応が違うのです。

「歌は語り」という時に先生は日本歌曲もドイツリートもイタリアオペラもみんな同じだとおっしゃいました。確かにそうですね。言葉の違いは単なる国の違いですから。日本人は日本語の方がよくわかるので特にしっかり言葉を伝えないといけないのですが、イタリアの歌曲は言葉はどうでもいいというわけではありませんね。日本人にわからないけれどもイタリア人には意味がわかるのですから。ですからどの歌を歌うにしてもきちんと意味を考えてその言葉を言う時の感情や状況を表現していくことが必要になります。
他の先生でもロシア語がちゃんとできたら歌いたい歌があるんだけどなあ〜って言っておられました。つまり音をまねるだけではダメだから歌えないとおっしゃってるのです。
tico
2008/01/11 22:12
(つづき)
>「聴くだけで喉がおかしくなる」といって帰りましたが

ここの意味がよくわからないのでなんとも言えませんが、発声はきちんと抜けていないと言葉を伝える以前の問題となると思います。

また何か私が勉強できたことがありましたら書いてみます。今感じていることを書いてみました。

まだ2〜3度ですが、プロの日本歌曲を聴いた時にほんとに言葉の意味と感情を伝えようとされている人とまだそれほどでもない人(年季・経験の差でしたが、ほんとに私の感情をゆすぶる人がおられました。)を聞くことができ、そういう風に伝えようとしないといけないのだなあと思いました。まだまだ、まだまだ遠い道ですが、確かに遠い向こうに指針があるように思います。
tico
2008/01/11 22:16
あと一つ。
私はまだ声楽の世界のことはわかりませんが、やはりそれぞれの主張というのがあるようですね。どこの世界でも同じで、ギターでも考え方は様々です。考えの違う人と話をいくら尽くしてもまとまりません。評価はまちまちになるんでしょうね。芸術ですから色々あって世界が広がるんでしょうね。私の感覚を信じて進んでいこうと思います。
tico
2008/01/11 22:41
ちょっと長くなりますがお許しください。
声楽という言葉でひとくくりにされますが、国や民族によって長い間培われた声の音楽にはそれぞれにいろいろな要素が溶け入っています。紙や土の家で生活する民族と石に囲まれた家で生活する人の言語はそれぞれに適合したものになるので異質なものです。またそれぞれが舞台芸術として様式化されるときにも発声法や音楽性が違うのは当然です。こうしたことを芸術の保守的な側面として守ろうとするとある言語を他国の音楽にのせて歌うというのは大変矛盾に満ちたものなるわけです。

かおたい
2008/01/12 17:55
(続き)
一方で芸術にはさらにもっとグローバルな結合を許す面があるので、あえて両者を結びつけようとします。矛盾をのりこえるときに起こる衝突を美点とするか汚点とするか判断が分かれてきます。「喉が変になる」現象はこのようなことの結果かなと思います。最近オペラ座で歌舞伎の公演がありました。ニューヨークではもっと前からでしょうか。浄瑠璃の声がどんな風に聴こえていたのか、その場に行きたい気がします。それは逆にオペラ歌手が歌舞伎座で歌うのと裏返しの印象になるのでしょうか。

これまでも数多くの日本の洋楽の(おかしな言い方ですが)作曲家や演奏家が歌曲に関わる時に、音楽と言葉をどのような方法で結合するか悩み続けていますが、日本歌曲という新しい芸術を創造するのだという理解の仕方の方が積極的だし正しいと思っています。

結論はticoさんと同じかもしれません。解決するべきものではないのでしょう。
かおたい
2008/01/12 17:59
かおたいさん、ご意見ありがとうございます。
私が「声楽」という場合はクラシックの歌のことを意味しています。声を使う芸能・芸術は世界中にたくさんありますし、私も能、歌舞伎、義太夫から他の国の歌も好きです。私が声を出したいと思った時に声を使ういろんな芸能・芸術を視野に入れて悩んだあげく、私が一番習いたかったクラシックを選びました。まあ、それは置いといて。

声を出す方法や声の種類というよりは、言葉ではとても難しいのですが、「歌を歌う」=「歌という音楽で声を出す」と安易に考えていたよりはもっと奥深いことを初めて感じたのです。他の人にとってはもしかしたら当たり前のことだったかもしれませんが、私にはとても驚きだったので「歌は芝居だ」と書きました。

例えば1オクターブに音が12音あるということを音楽をする人(特にクラシックなど)にとっては当たり前のことに関して、ピアノを習って鍵盤を目の前にして初めて知ったという驚きのようなことです。
tico
2008/01/12 21:12
(つづき)
文字で説明するのはかなり難しいですね。
「世界」というのは「クラシックの声楽界」のことです。これは「クラシックギター界」でもやはり考え方がまちまちですのでそれを言いたかったのでした。地球という意味の世界ではありませんでした。

で、上記のつづきですが、(500文字しか書けないのでネ)

歌はどんな歌でも歌詞=言葉の意味=それに伴う感情が出てくるべきものだと今ようやく思い至った次第です。(ここは地球上のどんな歌でも…という意味です。)発声法や作曲法については私は間全く無知ですので論外です。そして私はクラシックの声楽を勉強していこうと思っています。

クラシック界でもそれぞれのイタリア、ドイツ、日本などの歌い方はあるのかもしれませんが、そういう差異のことではなくて、地球的にどの歌も気持ちを伝えなければいけないのだなと思ったことを書いています。(私があまりにも幼稚な為、専門家としてのかおたいさんと立っている段が違ったかもしれません。)(汗)

演者としての感想でした。(^o^)
tico
2008/01/12 21:20
歌を作る者としては演奏者の言葉はとても貴重です。それと歌の場合は詩人ですね。長いこと詩人と作曲家と歌手の会にいましたのでとても大切な経験をしたと思っています。まだまだ納得した作品はないのですが・・・。
かおたい
2008/01/14 18:26
かおたいさん、ありがとうございました!
私は言葉には鈍感で音楽(インストゥルメンタル)の方へ多く神経が寄っていく人間ですので、歌と言ってもほとんど歌詞のことを気にしたことがなかったのでした。それよりは「あの歌いいわねえ〜」と人が話す時に「なんだ歌詞しか聴いてないのに…」と不満に思う方でした。ですから、今回実際に人の前で歌ってみて初めて「歌詞を伝えなきゃ!」と気が付いたのでした。レッスン中はあんまりその必要を感じなかったので。歌の言葉をきちんと伝えられる、感情に即したメロディがついているととても感情を込めやすいのかなあとか思いました。
tico
2008/01/14 19:59
詩の中には構成の美しさや音韻、調子の美しさといった客観的なものと、その詩人の人生からにじみ出てくる主観的なもの(感情に即したメロディとおっしゃるのがそれかな?)があってこの両方とも作曲者にも歌手にとっても無視できないと思います。そこに食い込んでいって音を作る仕事が音楽家のすることなのでしょうね。

「からたちのそばで泣いたよ。」の「よ」のところでなぜ増和音なのか・・・。
ごめんなさい、余計なこと言っています。
かおたい
2008/01/15 21:44
かおたいさん、ありがとうございました!
おかげさまで、少し歌とメロディの関係も整理がついてきました。お返事になるかどうかわかりませんが、私が感じたことを新しい記事にまとめました。
「歌は芝居」の分析(声楽119)
先生は「語るように」とおっしゃいますが、私には芝居のセリフに思えましたので、こういうタイトルです。
tico
2008/01/16 00:33
とても興味深く読ませていただいています。
私も若い頃にドイツリートを聴いていて、「steine」が本当に「石」と聞こえて感動したことがあります。それから一つ一つの言葉を表現しようと意識するようになりました。
ただ言葉の表現を意識しすぎて、音楽の美しさが損なわれてはいけないのでその辺に難しさがあると思います。
ねぼけうさぎ
2008/01/16 00:41
ねぼけうさぎさん、こんにちわ!
かおたいさん、ねぼけうさぎさんという経験豊かな方々に読んでいただけてありがたいです!初めての発表会で初めて気づいたことでしたので、これから色々かみしめてレッスンを受けたいとおもいます。「花のまち」もハードルが高いです。でも少しでも歌うことの意味(?)を理解したいです。
tico
2008/01/16 00:50

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文

こよみ

新年初レッスン(声楽118) 虹は雲のあとから見えてくる/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる