清野拓巳ソロライブ at BIGAPPLE(8/18)

私の方の事情でずっと行けなくて、実にBIGAPPLEへは3年振りに行ってきました。振り返って日記やブログで日にちを確かめると、2010.7.18.が最後でした。数字としては3年という年月が経っていますが、気持ちは何も変わらず、つい先月来たような気がします。


みんな3年歳をとっていますが、何も変わらない雰囲気。外国へ行っていて帰ってきた時のような、その3年間がなかったような気持ちです。BIGAPPLEの雰囲気も清野さんのライブも楽しかったです!

ライブは1部はガットギターで、2部はエレキでのソロでした。

今日は私はあまり一生懸命聞かないようにしようと決めていました。自分が反応するところだけ反応したらいいやと思いました。「~なければならない」と思って聞くと、疲れますし、楽しめないですしね。

昨年ヨーロッパツアーへ行った時に清野さんはウードを買ってきたそうです。ブログは読んでましたので、それは知っていました。そして、私はウードの音はかなり好きで、CDもいくつか持っています。清野さんの今日のソロにはウードの影響がみられたような気がしました。つまり音階ですね。どの曲もそればっかりということではないのですが、一部の曲はウード的な音楽になっていると思いました。

すごかったのは、ウード的な音階でバッハ的な音楽ができている曲の時でした。それを録音して、すぐに自分の演奏を重ねていく曲。ウード的バッハの雰囲気を壊さずに音を重ねるなんて、とんでもないわざです!

それから、以前ロバの音楽座を聞いた時にカテリーナ古楽合奏団のCDを買いました。ルネッサンス音楽のCDです。そういう響きに似た音楽も清野さんは弾いていました。

私はいわゆるクラシック音楽というよりはバロック音楽、ルネッサンス音楽など古い方が好きみたいで、古い音楽ほど民族音楽との境目が曖昧になっているような気がしました。バッハ以降、どんどんクラシック音楽としての音楽の作り方が決まってきて、民族音楽からは離れていきます。今日聞いていて、民族音楽、ルネッサンス音楽、ジャズ(特にインプロ)などが近いのかなと思いました。だから私は清野さんのソロが好きなのかなと思いました。

「音楽における音の秘密」が少しつず聞こえてきたような気がしました。



話はそれますが、初めて音楽における音の秘密に気がついたのは、フェビアン・レザ・パネの「GRAND ILLISION」でした。結局その時にわかったのは、平均律(私達が一番馴染んでいる音階)とペンタトニック(民族音楽)の差だということでした。音の使い方でこんな風に音楽が変わるのだなと感心しました。

クラシックギターの現代曲でも変わった音の使い方をしていて、途中とか最後に調性のある音楽になると、とてもほっとします。

清野さんの音楽も「あー、無調だなあ」と思う部分としっかり調性がある曲になる部分とか混じっていて、聞いていて何かを思い描く聴き方ではなく「はぁはぁ、へぇへぇ、ほぉほぉ」と何か言葉を聞いているような気がしていました。



私は年内、発表会続き、合唱のボランティア続き、それに伴う練習づくめで、たぶんライブには行けないと思いますが、それが終わればまた時間は作れると思います。毎年9月~12月は予定がぎっしりなので。

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